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diff --git a/talermerchantdemos/blog/articles/ja/open-source-misses-the-point.html b/talermerchantdemos/blog/articles/ja/open-source-misses-the-point.html index 5644b93..da19020 100644 --- a/talermerchantdemos/blog/articles/ja/open-source-misses-the-point.html +++ b/talermerchantdemos/blog/articles/ja/open-source-misses-the-point.html @@ -1,22 +1,27 @@ <!--#set var="ENGLISH_PAGE" value="/philosophy/open-source-misses-the-point.en.html" --> <!--#include virtual="/server/header.ja.html" --> -<!-- Parent-Version: 1.90 --> +<!-- Parent-Version: 1.96 --> +<!-- This page is derived from /server/standards/boilerplate.html --> +<!--#set var="TAGS" value="essays aboutfs free-open" --> +<!--#set var="DISABLE_TOP_ADDENDUM" value="yes" --> <!-- This file is automatically generated by GNUnited Nations! --> <title>なぜ、オープンソースは自由ソフトウェアの的を外すのか - GNUプロジェクト - フリーソフトウェアファウンデーション</title> <!--#include virtual="/philosophy/po/open-source-misses-the-point.translist" --> <!--#include virtual="/server/banner.ja.html" --> +<!--#include virtual="/philosophy/ph-breadcrumb.ja.html" --> +<!--GNUN: OUT-OF-DATE NOTICE--> +<!--#include virtual="/server/top-addendum.ja.html" --> +<div class="article reduced-width"> <h2>なぜ、オープンソースは自由ソフトウェアの的を外すのか</h2> <address class="byline">リチャード・ストールマン著</address> -<div class="article"> - -<blockquote class="comment"><p> +<div class="important"><p> 「自由ソフトウェア」と「オープンソース」の用語はほぼ同じ範囲のプログラムを指します。しかし、そのプログラムについて異なる価値にもとづいて深く異なることを述べます。自由ソフトウェア運動はユーザーのコンピューティングの自由のために活動します。それは自由と正義のための運動です。対照的に、オープンソースの考えは主に実際上の優位性に価値を置き、原理について活動しません。この点が、わたしたちがオープンソースに同意せず、その用語を使わない理由です。 -</p></blockquote> +</p></div> <p>英語でソフトウェアが“free,”であると言うとき、わたしたちは、それが<a href="/philosophy/free-sw.html">利用者の重要な自由</a>(すなわち、実行し、研究して変更し、コピーを変更ありまたはなしで再配布するという自由)を尊重する、という意味で使います。これは自由の問題であり、値段の問題ではありません。ですから、「言論の自由(free @@ -34,7 +39,7 @@ GPL)を設計し、このライセンスにもとづいて開発したソフト <p>自由ソフトウェアの利用者と開発者のすべてが自由ソフトウェア運動の目標に同意したわけではありません。1998年、自由ソフトウェアコミュニティの一部が分裂し、「オープンソース」の名でキャンペーンを始めました。この用語は、もともとは「自由ソフトウェア」の用語のありうる誤解を避けるために提案されました。しかし、すぐに、自由ソフトウェア運動の理念とは、とても違った理念と結びつけられるようになりました。</p> <p>オープンソースの支持者の何人かは、この用語を「自由ソフトウェアのマーケティング・キャンペーン」と考えていました。ビジネス経営者に、ソフトウェアの実際的な利点を強調することでアピールしようとしたのです。ビジネス経営者が聞きたくはないであろう、善悪の問題を持ち出すことはせずに。ほかの支持者は、きっぱりと自由ソフトウェア運動の倫理的、社会的価値を拒否しました。どちらの見解をとったとしても、オープンソースをキャンペーンする時に、こういった価値を参照したり、擁護することはありませんでした。すぐに「オープンソース」の用語は、実際的価値、つまり、パワフルで信頼性の高いソフトウェアを作ること、あるいは保持すること、といったことだけにもとづく考えと議論に関連付けられるようになりました。オープンソース支持者のほとんどは、この後に運動に参加し、同じ関連付けをしたのです。「オープンソース」のほとんどの議論は、善悪の問題に何の注意も払わず、人気と成功だけに関心を向けます。こちらに<a -href="http://www.linuxinsider.com/story/Open-Source-Is-Woven-Into-the-Latest-Hottest-Trends-78937.html">典型的な例</a>があります。オープンソースの支持者の少数は、今日では自由が問題の一部であると言いますが、そう言わない多数のなかでは目立ちません。</p> +href="https://www.linuxinsider.com/story/Open-Source-Is-Woven-Into-the-Latest-Hottest-Trends-78937.html">典型的な例</a>があります。オープンソースの支持者の少数は、今日では自由が問題の一部であると言いますが、そう言わない多数のなかでは目立ちません。</p> <p>二つの用語はほとんど同じソフトウェアの分類を述べますが、基本的に異なった価値にもとづく見解に立脚しています。自由ソフトウェア運動にとって、自由ソフトウェアは倫理的な要請であり、利用者の自由を尊重する本質です。対照的に、オープンソースの理念は、どのようにソフトウェアを実際的な意味だけで「よりよく」するかという面から問題を考えます。それは、不自由なソフトウェアは、手元の実際的な問題に対して劣った解だと言うのです。</p> @@ -48,21 +53,20 @@ href="/philosophy/free-open-overlap.html">もしくはだいたい同じ</a>)な <h3>自由ソフトウェアとオープンソースの現実的な相違</h3> -<p>実際、オープンソースは自由ソフトウェアのものよりもゆるい基準に立脚します。わたしたちの知る限り、既存のすべてのリリースされた自由ソフトウェアのソースコードはオープンソースとして適格でしょう。ほとんどすべてのオープンソース・ソフトウェアも自由ソフトウェアですが、例外もあります。第一に、一部のオープンソースのライセンスはとても制限が強く、自由なライセンスとしては適格ではありません。たとえば、“Open -Watcom”では、そのライセンスが変更したバージョンを作成してプライベートに使うのを認めないので、不自由です。幸いにして、そのようなライセンスは、ほんの少数のプログラムにしか使われていません。</p> +<p>実際、オープンソースは自由ソフトウェアのものよりもゆるい基準に立脚します。わたしたちの知る限り、既存のすべてのリリースされた自由ソフトウェアのソースコードはオープンソースとして適格でしょう。ほとんどすべてのオープンソース・ソフトウェアも自由ソフトウェアですが、例外もあります。</p> -<p>第二に、あるプログラムのソースコードが弱いライセンスでコピーレフトではないものをもってる時、その実行形式は追加の不自由な条件をもつことがあります。たとえば、<a -href="https://code.visualstudio.com/License/">マイクロソフトがVisual -Studioで行って</a>います。</p> +<p>第一に、一部のオープンソースのライセンスはとても制限が強く、自由なライセンスとしては適格ではありません。たとえば、Open +Watcomでは、そのライセンスが変更したバージョンを作成してプライベートに使うのを認めないので、不自由です。幸いにして、そのようなライセンスは、ほんの少数のプログラムにしか使われていません。</p> -<p>こういった実行形式が関連のソースに完全に対応していれば、それはオープンソースとして適格ですが、自由ソフトウェアとしては不適格です。しかし、この場合、ユーザはソースコードをコンパイルし、自由な実行形式を作って配布することができます。</p> +<p>第二に、オープンソースの基準は、ソースコードのライセンシングについてだけ、問題とします。しかし、人々はしばしば実行形式をそのソースコードがこの方式で利用できるから「オープンソース」と言います。これは、逆説的な状況の混乱の元となります。ソースコードはオープンソースで(自由)だが実行形式そのものは自由でない、という場合です。</p> -<p>最後に、実際には、もっとも重要なのですが、多くのコンピュータを内蔵する製品は、実行プログラムの電子署名をチェックして、ユーザが異なる実行形式をインストールできないようにブロックします。一つの権限を持った会社だけが、そのデバイスで実行できる、もしくはそのデバイス全体の機能へアクセスができるような実行形式を作成できるのです。わたしたちはこのようなデバイスを「暴君」と呼び、それをみつけた最初の製品(Tivo)から名付けて、この慣習を“tivoization”と呼びます。その実行プログラムが、自由なソースコードから作られ、名目的に自由なライセンスが付いてきたとしても、ユーザは変更したバージョンを実行できませんから、その実行形式は事実上不自由なのです。</p> +<p>この逆説の自明なケースは、あるプログラムのソースコードが弱い自由なライセンスでコピーレフトではないものをもっているが、その実行形式は追加の不自由な条件をもつ場合です。その実行形式が、リリースされたソースに正確に対応することを仮定すれば(それはそうであるかもしれませんし、そうでないかもしれません)、ユーザはソースコードをコンパイルし、自由な実行形式を作成して配布できます。これが、このケースが自明である理由です。危険な問題ではありません。</p> -<p>多くのアンドロイドの製品には、Linuxのtivoizationされた不自由な実行形式が入っています。そのソースコードはGNU -GPLバージョン2の元なのですが。わたしたちはGNU GPLバージョン3をこの慣習を禁止するために設計しました。</p> +<p>自明でないケースは有害で重要です。コンピュータを内蔵する多くの製品は、実行プログラムの電子署名をチェックして、ユーザが異なる実行形式を実効的に使えないようにブロックします。一つの権限を持った会社だけが、そのデバイスで実行できる、もしくはそのデバイス全体の機能へアクセスができるような実行形式を作成できるのです。わたしたちはこのようなデバイスを「暴君」と呼び、それをみつけた最初の製品(Tivo)から名付けて、この慣習を“tivoization”と呼びます。その実行プログラムが、自由なソースコードから作られ、自由なライセンスが名目的に付いてきたとしても、ユーザは変更したバージョンを有用に実行できませんから、その実行形式は事実上不自由なのです。</p> -<p>オープンソースの基準は、ソースコードのライセンシングについてだけ、関与します。ですから、こういった不自由な実行形式は、Linuxのようなオープンソースで自由なソースコードから作られた場合、オープンソースですが自由ではありません。</p> +<p>多くのアンドロイドの製品には、Linuxのtivoizationされた不自由な実行形式が入っています。そのソースコードはGNU +GPLバージョン2の元なのですけれども。(わたしたちはGNU +GPLバージョン3をこの慣習を禁止するために設計しました。Linuxがそれを採用しないのは大変残念です。)こういった実行形式は、ソースコードはオープンソースで自由なものから作成されており、「オープンソース」と一般に言われますが、自由ソフトウェア<em>ではありません</em>。</p> <h3>「自由ソフトウェア」と「オープンソース」のよくある誤解</h3> @@ -75,21 +79,24 @@ beer)』ではなく。」と言うのです。これは完璧な解ではなく software”に提案された代替の用語は、すべて、意味の上での問題がありました。“open source software”もそのうちの一つです。</p> -<p><a href="https://opensource.org/osd">「オープンソースソフトウェア」の公式定義</a> +<p><a href="https://opensource.org/osd">オープンソースソフトウェアの公式定義</a> (オープンソースイニシアティブにより公開されています。ここに収めるには長すぎます)は、わたしたちの自由ソフトウェアの基準から間接的に導き出されたものです。それは同一ではなく、いくつかの面で緩いものです。とは言っても、かれらの定義はわたしたちの定義とほとんどの場合一致します。</p> -<p>しかし、「オープンソースソフトウェア」という表現の明らかな意味(ほとんどの人々がこうであろうと考えるもの)は「ソースコードを見ることができる」というものです。この基準は自由ソフトウェアの定義よりかなり弱いものです。また、オープンソースの公式定義よりもかなり弱いものです。これでは、自由でもオープンソースでもないたくさんのプログラムが含まれてしまいます。</p> +<p>しかし、「オープンソースソフトウェア」という表現の明らかな意味は「ソースコードを見ることができる」というものです。まさに、ほとんどの人々は「オープンソースソフトウェア」をこのように誤解しているようです。(この意味のための明確な用語は「ソースが利用可能」です。)この基準は自由ソフトウェアの定義よりかなり弱いものです。また、オープンソースの公式定義よりもかなり弱いものです。これでは、自由でもオープンソースでもないたくさんのプログラムが含まれてしまいます。</p> + +<p>なぜ、人々はこのように誤解するのでしょうか? +それはこれが「オープンソース」という言葉の自然な意味だからです。しかし、オープンソース擁護者が別の名前に求めた概念は自由ソフトウェアの変異形でした。</p> <p>この「オープンソース」の明らかな意味は、擁護者の意図する意味ではないので、結果は、ほとんどの人が用語を誤解することとなっています。ライターのニール・ステファンソンによると、「Linuxが『オープンソース』ソフトウェアだとは、単に誰もがソースコード・ファイルのコピーを入手できることを意味する」のだそうです。熟慮の上で、彼が公式の定義を否定もしくは阻止しようとしていたとは思いません。英語の慣例を単純に適用して、用語の意味を思いついたのだと思います。<a href="https://web.archive.org/web/20001011193422/http://da.state.ks.us/ITEC/TechArchPt6ver80.pdf">カンサス州</a>は、同じような定義を公表しています: 「オープンソースソフトウェア(OSS)を活用する。OSSとはソースコードが自由に公衆に利用可能なソフトウェアである。コードに対してなにが許されるかについて個別のライセンス同意はそれぞれだが。」</p> <p><i>ニューヨーク・タイムズ</i>は、<a -href="http://www.nytimes.com/external/gigaom/2009/02/07/07gigaom-the-brave-new-world-of-open-source-game-design-37415.html"> +href="https://www.nytimes.com/external/gigaom/2009/02/07/07gigaom-the-brave-new-world-of-open-source-game-design-37415.html"> この用語の意味を引き延ばした記事を掲載</a>してしまいました。ユーザのベータテストを指すものとしてこの用語を使いました。つまり、何人かのユーザに初期の版から試させて、機密のフィードバックをもらう、と。これは、プロプライエタリなソフトウェアの開発者が何十年にもわたって使ってきた方法です。</p> <p>この用語はさらに引き伸ばされ、<a -href="http://www.theguardian.com/sustainable-business/2015/aug/27/texas-teenager-water-purifier-toxic-e-waste-pollution">特許なしに公開された</a>装置の設計を含むまでになりました。特許から自由な装置の設計は賞賛されるべき社会に対する貢献になりえますが、「ソースコード」の用語は、こういった設計には付属しません。</p> +href="https://www.theguardian.com/sustainable-business/2015/aug/27/texas-teenager-water-purifier-toxic-e-waste-pollution">特許なしに公開された</a>装置の設計を含むまでになりました。特許から自由な装置の設計は賞賛されるべき社会に対する貢献になりえますが、「ソースコード」の用語は、こういった設計には付属しません。</p> <p>オープンソースの支持者は、かれらの公式定義を指し示すことでこの問題に対処しようとしますが、この修正方法はわたしたちのように効果的ではありません。英語では、“free software”は二つの自然な意味がありますが、ひとつは意図された意味であり、「言論の自由(free @@ -103,7 +110,7 @@ href="/licenses/license-list.html">たくさんの自由ソフトウェア・ラ GPLのほかにもあるのです。</p> <p>「オープンソース」という用語は、政府、教育、科学といったそのほかの活動への応用によって、さらに引き伸ばされました。ここでは、ソースコードなんてものはありませんし、ソフトウェアのライセンシングの基準は単にしっくりこないのです。このような活動に共通なことは、ともかく人々の参加を招くということだけです。かれらは、この用語を「参加型」や「透明性」を意味するだけ、もしくはそれよりも少ないものにまで引き伸ばしています。最悪に、<a -href="http://www.nytimes.com/2013/03/17/opinion/sunday/morozov-open-and-closed.html"> +href="https://www.nytimes.com/2013/03/17/opinion/sunday/morozov-open-and-closed.html"> 無意味なバズワードとまでなっています</a>。</p> <h3>異なる価値が同じような結論に達することもあるでしょう — しかし、いつもではありません</h3> @@ -127,7 +134,7 @@ href="http://www.nytimes.com/2013/03/17/opinion/sunday/morozov-open-and-closed.h <p>しかし、ソフトウェアは利用者の自由を尊重する場合にのみ、利用者に奉仕すると言えるでしょう。ソフトウェアがその利用者を鎖につなぐよう設計されているとしたらどうでしょうか。そのとき、パワフルであることは鎖の締め付けがより強く、信頼性が高いことはそれを取り除くことがより困難である、そういったことを意味します。敵意ある機能、たとえば、利用者をこっそり見張ったりすること、利用者を制限すること、バックドア、強制アップグレードなどは、みなプロプライエタリなソフトウェアでは普通のことです。そして、あるオープンソース支持者はオープンソース・プログラムでそういったものを実装したいと考えるでしょう。</p> <p>映画とレコードの会社の圧力から、個人利用向けのソフトウェアは、ますます利用者を制限するよう、とくに設計されるようになってきています。この敵意ある機能はディジタル制限管理(DRM)(<a -href="http://defectivebydesign.org/">DefectiveByDesign.org</a>を参照)として呼ばれ、自由ソフトウェアが提供しようと目指す自由の精神のアンチテーゼです。そして精神だけではありません。DRMの目標は、あなたの自由を踏みにじることですから、DRMの開発者は、DRMを実装するソフトウェアを変更できないように、それを困難に、不可能に、違法にさえしようとしています。</p> +href="https://defectivebydesign.org/">DefectiveByDesign.org</a>を参照)として呼ばれ、自由ソフトウェアが提供しようと目指す自由の精神のアンチテーゼです。そして精神だけではありません。DRMの目標は、あなたの自由を踏みにじることですから、DRMの開発者は、DRMを実装するソフトウェアを変更できないように、それを困難に、不可能に、違法にさえしようとしています。</p> <p>そのうえに、あるオープンソース支持者は、「オープンソースDRM」ソフトウェアを提案しました。かれらの考えは、暗号化されたメディアのアクセスを制限するように設計されたプログラムのソースコードを公開し、ほかの人からの変更を許可することによって、あなたのような利用者を制限する、よりパワフルな、より信頼性の高いソフトウェアを作り出すことができる、というものです。そして、そのようなソフトウェアは、あなたの変更が許されない形でデバイスの中に組み込まれ、あなたの手元に届くでしょう。</p> @@ -135,7 +142,7 @@ href="http://defectivebydesign.org/">DefectiveByDesign.org</a>を参照)とし <h3>自由の不安</h3> -<p>自由ソフトウェア運動からオープンソース派に分かれた人々の当初の主な動機は、「自由ソフトウェア」の倫理に対する考えはある人々を心配にさせる、というものでした。これは当たっています: +<p>自由ソフトウェア運動からオープンソース派に分かれた人々の当初の主な動機は、自由ソフトウェアの倫理に対する考えはある人々を不安にさせる、というものでした。これは当たっています: 自由のような倫理の問題を取り上げ、利便性と同じように責任を語ることは、無視したいようなこと、たとえば、行いが倫理的であるかどうか、を人々に問うことだからです。これは不愉快な感情を引き起こし、ある人々は単に心を閉ざします。だからと言って、これらの問題を語ることは止めるべきだ、とはなりません。</p> <p>しかし、オープンソースのリーダたちがこうしようと決めたのがこれでした。倫理と自由について静粛を保ち、ある自由ソフトウェアの直接の実際の利益についてのみを語ることによって、ある種のユーザ、とくにビジネスへ、ソフトウェアをもっと効率よく「売る」ことができるだろうと考えたのです。</p> @@ -155,19 +162,18 @@ href="http://defectivebydesign.org/">DefectiveByDesign.org</a>を参照)とし <p> “FLOSS”と“FOSS”は<a href="/philosophy/floss-and-foss.html">自由ソフトウェアとオープンソースの間で中立である</a>ために使われます。中立性が目的の場合、“FLOSS”が二つの中では、より良いでしょう。それはまさに中立ですので。しかし、自由に立脚したいのであれば、中立な用語の使用はその方法ではありません。自由に立脚することは、必然的に、自由への支持を示すことを伴います。</p> -<h3>マインドシャアの競争相手</h3> +<h3>マインドシェアの競争相手</h3> -<p>「自由」と「オープン」はマインドシェアの競争相手です。「自由ソフトウェア」と「オープンソース」は異なる考えですが、ほとんどの人がソフトウェアを見る方法において、同一の概念のスロットで競争します。人々が「オープンソース」と言って考えるのが慣習となれば、自由ソフトウェア運動の理念を把握し、それについて考える障害となるでしょう。既に人々が、わたしたちとわたしたちのソフトウェアと「オープン」の言葉を関連付けているならば、わたしたちが<em>ほかの</em>ものに立脚していると、かれらが認識する前に、わたしたちは知的に衝撃を与える必要があるでしょう。「オープン」の言葉を奨励するどんな活動も、自由ソフトウェア運動の考えを隠すカーテンを広げてしまいがちなのです。</p> +<p>「自由」と「オープン」はマインドシェアの競争相手です。自由ソフトウェアとオープンソースは異なる考えですが、ほとんどの人がソフトウェアを見る方法において、同一の概念のスロットで競争します。人々が「オープンソース」と言って考えるのが慣習となれば、自由ソフトウェア運動の理念を把握し、それについて考える障害となるでしょう。既に人々が、わたしたちとわたしたちのソフトウェアと「オープン」の言葉を関連付けているならば、わたしたちが<em>ほかの</em>ものに立脚していると、かれらが認識する前に、わたしたちは知的に衝撃を与える必要があるでしょう。「オープン」の言葉を奨励するどんな活動も、自由ソフトウェア運動の考えを隠すカーテンを広げてしまいがちなのです。</p> <p>ですから、自由ソフトウェアの活動家は、「オープン」と自身を呼ぶような活動の仕事をしないよう、忠告されます。それ自身が良い活動であったとしても、あなたがなす貢献は、それぞれ、オープンソースの考えを推奨することで、小さな害をなすのです。自身を「自由」あるいは「リブレ」と呼ぶほかの良い活動がたくさんあります。そちらのプロジェクトのそれぞれの貢献は、こちらにとって追加の小さな良いことです。たくさんの有用なプロジェクトがあり、選ぶなら、追加の良いことの方を選びませんか?</p> <h3>結論</h3> <p>オープンソースの擁護者が新しい利用者をわたしたちのコミュニティに引き入れるとき、わたしたち自由ソフトウェアの活動家は、新しい利用者が自由の問題に注意を払うようにその任務を負わなければなりません。「これは自由ソフトウェアで、自由をあなたに与えます!」と、もっと、今までよりも大きな声で言わなければなりません。「オープンソース」ではなく「自由ソフトウェア」と言うとき、あなたはわたしたちの運動を助けているのです。</p> +<div class="column-limit"></div> -</div> - -<h4>注</h4> +<h3 class="footnote">注</h3> <!-- The article is incomplete (#793776) as of 21st January 2013. <p> @@ -178,7 +184,8 @@ let license,”</a> gives his perspective on this issue.</p> --> <p> ラクハニとウルフの<a -href="http://ocw.mit.edu/courses/sloan-school-of-management/15-352-managing-innovation-emerging-trends-spring-2005/readings/lakhaniwolf.pdf">自由ソフトウェア開発者の動機に関する論文</a>では、かなりの割合が、ソフトウェアは自由でなければならない、という見解によって動機付けられていると述べています。SourceForgeの開発者を調査したという事実にもかかわらずにです。このサイトはこれが倫理の問題であるとする見解を支持していません。</p> +href="https://ocw.mit.edu/courses/sloan-school-of-management/15-352-managing-innovation-emerging-trends-spring-2005/readings/lakhaniwolf.pdf">自由ソフトウェア開発者の動機に関する論文</a>では、かなりの割合が、ソフトウェアは自由でなければならない、という見解によって動機付けられていると述べています。SourceForgeの開発者を調査したという事実にもかかわらずにです。このサイトはこれが倫理の問題であるとする見解を支持していません。</p> +</div> <div class="translators-notes"> @@ -188,7 +195,7 @@ href="http://ocw.mit.edu/courses/sloan-school-of-management/15-352-managing-inno <!-- for id="content", starts in the include above --> <!--#include virtual="/server/footer.ja.html" --> -<div id="footer"> +<div id="footer" role="contentinfo"> <div class="unprintable"> <p>FSFおよびGNUに関する問い合わせは<a @@ -208,20 +215,36 @@ href="mailto:webmasters@gnu.org"><webmasters@gnu.org></a>までお送り <web-translators@gnu.org></a>.</p> - <p>For information on coordinating and submitting translations of + <p>For information on coordinating and contributing translations of our web pages, see <a href="/server/standards/README.translations.html">Translations README</a>. --> 正確で良い品質の翻訳を提供するよう努力していますが、不完全な場合もあるかと思います。翻訳に関するコメントと提案は、<a -href="mailto:web-translators@gnu.org"><web-translators@gnu.org></a>におねがいします。</p><p>わたしたちのウェブページの翻訳の調整と提出については、<a +href="mailto:web-translators@gnu.org"><web-translators@gnu.org></a>におねがいします。</p><p>わたしたちのウェブページの翻訳の調整と貢献については、<a href="/server/standards/README.translations.html">翻訳 README</a>をご覧ください。</p> </div> -<p>Copyright © 2007, 2010, 2012, 2015, 2016, 2019, 2020 Richard Stallman</p> +<!-- Regarding copyright, in general, standalone pages (as opposed to + files generated as part of manuals) on the GNU web server should + be under CC BY-ND 4.0. Please do NOT change or remove this + without talking with the webmasters or licensing team first. + Please make sure the copyright date is consistent with the + document. For web pages, it is ok to list just the latest year the + document was modified, or published. + + If you wish to list earlier years, that is ok too. + Either "2001, 2002, 2003" or "2001-2003" are ok for specifying + years, as long as each year in the range is in fact a copyrightable + year, i.e., a year in which the document was published (including + being publicly visible on the web or in a revision control system). + + There is more detail about copyright years in the GNU Maintainers + Information document, www.gnu.org/prep/maintain. --> +<p>Copyright © 2007, 2010, 2012-2016, 2019-2022 Richard Stallman</p> <p>このページは<a rel="license" href="http://creativecommons.org/licenses/by-nd/4.0/deed.ja">Creative -Commons Attribution-NoDerivs 4.0 International License</a>の条件で許諾されます。</p> +Commons Attribution-NoDerivatives 4.0 International License</a>の条件で許諾されます。</p> <!--#include virtual="/server/bottom-notes.ja.html" --> <div class="translators-credits"> @@ -232,11 +255,12 @@ Commons Attribution-NoDerivs 4.0 International License</a>の条件で許諾さ <p class="unprintable"><!-- timestamp start --> 最終更新: -$Date: 2020/10/06 08:42:12 $ +$Date: 2022/03/01 01:37:05 $ <!-- timestamp end --> </p> </div> </div> +<!-- for class="inner", starts in the banner include --> </body> </html> |